2013年5月



ーー−5/7−ーー 不要木の活躍


 
前回、試作品の椅子を作るに当たり、近所の農家から頂いた材木を使ったと言う話を紹介した。今回はそのいきさつを述べてみよう。

 もう5年以上前になるか、ある日その農家の旦那から電話があった。要らない材木があるので渡したいと。ほとんど面識の無い人である。ただ、その農家がやっていた野菜販売所で、家内がアルバイトをしていたことがあり、奥様にも親切にして頂いた経緯がある。そんなわけで、木工家具を作っている大竹工房を思い出したのかも知れない。

 こういう話は、正直なところ、有難迷惑な場合もある。材が使えるかどうか、判断がつきかねることがある。受け取ったとしても、保管する場所を作らなければならない。迷っている私の気持ちを、電話の向こうで察したのか、今すぐ軽トラで来て、持って行けと言った。少々強引であるが、田舎の人は、これくらいしなければ話が前に進まないということを心得ている、行動派なのである。

 農家は近かった。旦那は農機具倉庫の前で出迎え、私を倉庫の中に案内した。倉庫の壁際に、材木が積んであった。巾25〜30センチ、厚み6センチ、長さ2.5メートルほどの板が10枚ほど。材種はコナラだろうと言う事だった。事情を聞くと、敷地内に生えていた樹が邪魔になったので、伐採したのだが、ある程度の太さだったので処分するのはもったいないと考え、製材所に持ち込んで板に挽いたのだと。こういう話は、農村ではけっこう一般的である。当座使う当ては無くても、使えそうな物は取っておく。製材に費用は掛かるが、厚い板は貴重な物であり、取っておいて損は無いと言う目論見だろう。

 板をはぐってみると、腐れが入っていて、変色していた。風通しの悪い倉庫の中に保管してあったので、腐朽菌が入ってしまったのだ。これでは家具に使えない。しかし旦那は、そんな私の気持ちを無視するかのように、板を軽トラに積み始めた。私もその勢いに負けて、一緒に積んだ。積み終わったとき、不本意ながらタダで貰うわけには行かないと思い、「いくらお支払いしましょうか?」と言った。旦那は、「金なんか要らないよ。そうだ、暇な時にこの板で何か作ってくらないか。椅子がいいかな」と答えた。

 工房へ持って帰り、含水率を計ったら、メーターが振り切れた。全然乾いてないのだ。製材して1年以上経つという話だったが、良好な状態で乾燥させても、この厚みでは最低2年はかかる。ましてや倉庫の中では、ほとんど乾燥が進まなかったのだろう。腐れが入った生材を、抱え込むはめになってしまった。ともかく桟積をして乾燥させなければならない。しかし、工房の周囲は既に材木の山で一杯である。有用性の少ない材のために、新たなスペースを作るのも気が進まない。そこで、二階の事務所の床下、車庫の天井に当たる場所の鉄パイプの上に並べて保管することにした。そこは三方を壁に囲まれているが、風が吹き通しの車庫に面しているので、そこそこ乾燥が進むだろうと考えた。

 一年ほど経って、含水率を計ったら、まだまだ値が高かった。長丁場を覚悟しなければならなかった。車に乗り降りするたびに頭上に目にする材だが、そのうちに頭から離れてしまった。使える状態に無く、使う用途も見当たらない材は、無用の長物と化した。邪魔でも迷惑でもないが、存在意義は希薄だった。

 その不遇の材に、出番が回ってきた。椅子の試作をするのに、厚くて幅広の板が必要になったのである。試作品のために、在庫してある高価なミズナラの材を使うのはもったいない。そこでこのタダの材を使う事を思い立った。含水率を計ったら、使える状態まで下がっていた。かくして数年の歳月を経て、ようやくこの材に手が加えられることになった。


 出来上がった試作椅子が、右の画像である。材は丸ごと、腐れが入っている部分も使った。と言うか、変色した部分を取り除いたら、使える部分はほとんど無くなるような感じだった。腐れが入って白くなった部分は、明らかに軟らかく、強度が小さいと感じられた。しかし、今回の試作の目的は、図面通り正しく組み上がるかの検証と、全体の形状のチェックと、座り心地の確認であったから、材の強度は度外視した。椅子の強度的な面は、これまでの製作してきた関連作品で実証済みだから、心配は無い。

 余談だが、この辺りの木工家の間では、「コナラなどは使えない」という話をよく耳にした。材が荒っぽくて、手に負えないと言うのである。しかし今回使ってみたら、なかなかどうして、良い材だった。たしかに硬くはあるが、加工に支障を来すほどではない。材はしっとりとした感じで、荒れてバサバサしてはいない。刃物の当たりも良く、鉋はスルスルとかかった。仕上がりも良好で、塗装を掛けたらほど良いツヤも出た。大径木では無かったので、木目は荒めだが、それはそれで雰囲気がある。量産工程には向かないかもしれないが、一品物の製作だったら、味のある作品となる感じがした。多少重量が大きい感じもしたが、ミズナラと比べて大差は無いだろう。

 無用の長物と思われた材が、思わぬ活躍をしたので、有り難かった。そこで、例の約束を思い出した。これまでも、お礼の件は、時折思い出しては、気詰まりに感じていた。恩知らずに成り下がっては不本意だ。先方も忘れずに待っていることだろう。しかし、一度も使わなかった材の、最初の作品がお礼の品というのも、気が進まなかったのである。

 椅子を作ると言っても、ダイニングチェアでは手間が掛かり過ぎるし、使い手の好みの問題もある。思案した挙句、使い勝手に制約が無い、シンプルなベンチを作る事にした。ゼロから設計するのは手間が掛かるので、木工の書籍に載っていたベンチを、ほぼ図面通り使わせて貰った。他人の作品を真似するのは、プロの木工家として気が引けるが、たまにはこういうのも良いものだ。自分のスタイルと違うことをやると、いろいろ勉強になる。



 
左の画像が、出来上がったベンチ。農家の玄関や軒先で、お茶を飲んだり、ちょっとした作業をしたり、また植木の鉢を並べても良い。田舎のライフスタイルでは、いろいろ使い道のある品だと思う。これを見て家内は「うちにもこういうベンチが欲しいわね」と言った。

 出来上がったベンチを届けようと思い、例のお宅に電話をした。出た奥様に、届けたい品物があるからお宅に行きたいと告げると、特に内容を問いただされもしなかった。たぶん、時々家の中で、この話が出ていたのかと思った。

 品物を持参して渡したら、旦那はたいそう喜んだ。奥様は恐縮して、取れたての筍を持たせてくれた。私が、乾燥に年数が掛かった事など、これまでの事情を説明し、「ずいぶん長らくお待たせしました」と言うと、旦那は「いやあ、有難う」と快活に笑った。

 これで長年気に掛かっていたことが解決し、肩の荷が下りた。これからは気兼ねなく残った材を使うことができる。しかし、やはり当面、使う当ては無い。









ーーー5/14−−− フィラデルフィアで潜水艦


 連休に友人たちが山登りに来た。登山が終わり、我が家で団欒をしている時、友人の一人が、連休後半に米国はフィラデルフィアへ出掛ける予定だと言った。娘さんがかの地に留学しているそうで、冬にも会いに行ったそうである。今回は奥さんとその母親を連れて行くので、観光のウエイトが大きくなるだろうとのこと。それを聞いて私は、「潜水艦を見てきたら?」と言った。それは冗談だったが、滑稽な思い出からの連想であった。

 二十数年前、会社に勤めていた頃、米国に出張して滞在したことがあった。ニューヨーク州の田舎町。そこにメーカーの工場があり、性能試験に立ち会うためだった。ある休日、一緒に仕事をしていた二人の同僚と共に、日帰りの旅行に出掛けた。目的地はフィラデルフィア。なぜそこに行くことになったのかは覚えていないが、アメリカ合衆国建国の地ということで、多少の関心があったのかも知れない。

 レンタカーを使って、500キロほどの距離がある。朝出発して、着いたのは昼前だった。市内に入ってぐるりと回ると、港があった。桟橋に潜水艦が係留されていた。太平洋戦争で使われたものだろうか。あまり大きくはなく、ちょっと古めかしい印象だった。市民に開放されており、内部が見学できるようになっていた。中へ入り、潜望鏡を見たり、魚雷発射管を見たりした。初めて見る潜水艦は、面白かったが、地味な展示だったところから察すると、特別なものではなかったようである。

 潜水艦を後にし、また車でウロウロしていたら、観光案内所があった。そこに立ち寄って、見るべき場所をアドバイスして貰おうという事になった。カウンターにはニコニコ顔の女性がいて「ハーイ、いらっしゃーい」と言った。我々が、市内の名所を観たいので教えてほしいと言うと、「オーケー、まかせてちょうだい。フィラデルフィアには歴史的な場所がたくさんあるのよ」と言った。そして、到着してからこれまでに、どこを見たかと聞いてきた。自由の鐘など、有名な場所は真っ先に見に行くはずだから、ダブって教えても仕方ないと思ったのだろう。

 そこで我々は「潜水艦を見た」と答えた。彼女は急に怪訝そうな顔になった。「潜水艦、ですか? それだけ?」と聞くので、「イエス」と返した。すると彼女は大袈裟な動作で、何度も首を横に振り、信じられないという感じでこう言った、「フィラデルフィアで潜水艦、ありえない・・・」




ーーー5/21−−− 回転動画


 息子が、大竹工房の宣伝のために、動画を取り入れたらどうかと言った。現代は、動画サイトの影響力がとても大きくなっている。それを利用しない手は無いと言うのである。

 息子のアイデアは、私が工房の中でケーナを演奏するなどという、変なものだった。そんなものでも、何らかの工夫を盛り込んで評判になれば、それなりのアクセス数を得られる。その中からほんの一部でも木工家具に関心を持つ人が現れれば、仕事につながると言う目論見だ。

 そんなに上手く事が運ぶとは思えない。しかし、動画を使って宣伝をするという事には、興味を引かれた。静止画像だけでも、あると無いとでは大違いだ。それが動画となれば、より一層リアルさが伝わるだろう。

 とりあえず、作業風景を撮ってみた。それをブログにアップしたら、自分の事とは思えないくらい、臨場感があった。それですっかり動画に傾いた。ただ、作業風景を撮ってアップするというのは、行き当たりばったりでは意味が無いと思った。日々の仕事を断片的に撮るだけでは、手間を取られる割にはインパクトが少ない。一つの作品が出来上がるまで、最初から最後まで記録すれば、まとまったムービーになるが、それは大変な作業だ。

 そこでとりあえず、これまで作った家具作品を、動画で見せる事を思い付いた。物は見る角度が変わると、印象が違う。それを動画で展開すれば、作品をリアルに感じてもらえる助けになるだろう。

 作品を回転式円盤(ターンテーブル)に乗せて、360度回すことにした。簡単な加工で、ターンテーブルを作った。それに椅子を乗せて、手で円盤の縁を押して回し、撮影した。椅子の見え方は新鮮だったが、回す人間が写っているのが興ざめだった。

 そこで、遠隔操作で回す仕組みを作った。ターンテーブルの裏側に、半分ほどの大きさの円盤を取り付けた。それに紐を巻き付け、紐を引っ張れば円盤が回るようにした。紐が写ると格好悪いので、最初はターンテーブルから紐が出ている部分が、画面から外れるような構図にした。撮影したものを見ると、それでは窮屈な感じがしたので、ターンテーブル全体を写すように改めた。それを実現させたのは、紐を透明なテグスに替えるという、家族からのアイデアだった。その方式で撮影してみたら、見違えるほど整った画面になった。

 先に述べた作業風景や、試しにやってみた回転動画は、撮りっ放しの映像だった。それでは、前後に不要なシーンが入ってしまい、好ましくなかった。そこで、編集をすることにした。動画の編集など、どうやったら良いものか、見当も付かなかったが、元々パソコンに入っている「ムービーメーカー」なるソフトで出来ることが分かった。やってみたら、簡単だった。

 さらに、無音では寂しいので、BGMを入れようと考えた。最初は、ラジカセで曲を流しながら、動画を撮った。それでは、曲を上手く動画に重ねるタイミングが難しかった。動画にBGMを入れるソフトを、ネットで調べていたら、たまたま帰省中の長女が、ムービーメーカーでも出来ると言った。やってみたら、これも簡単だった。こういうソフトは、実に良く出来ている。素人がいきなりやっても、そこそこ上手く行くように、周到に作られている。

 かくして、編集動画にBGMを付ける手段が確立した。在庫してある作品を、片っ端から撮影して処理をし、Youtubeにアップした。一例は→こちら。コンパクト・デジカメで撮影しているので、拡大して見ると画像が不鮮明になるが、ご勘弁願いたい。他の家具も見たい方は、このホームページの「作品のページ」へアクセス願いたい。

 アップ後しばらくして気が付いたのだが、Youtubeの管理画面に、「第三者のコンテンツと一致しました」との警告が出た。BGMの著作権の事だ。何もなければ動画はそのまま維持されるが、もし著作権者からクレームが付いたら、BGMは削除されるとの説明だった。放っておいても何事も起きないようにも思ったが、念のためほとんどの曲を、著作権で縛られていないものに替えた。

 かくして、動画デビューを果たしたが、既に二週間ほど経つのに、動画閲覧回数は極めて低調である。まあ、こんなものだろう。

 ところで改めて、動画サイトの便利さに気付かされた。動画は、ほんの1分間程度の長さでも、容量を食う。個人のホームページで抱えるのは大変だ。サーバーにアップすれば、契約容量をオーバーする恐れがある。その点、Youtubeなら、無制限で利用できる。ホームページやブログからは、リンクするだけだから、何ら問題は無い。たいへん便利である。

 それにしても、日々世界中から膨大な量の動画が持ち込まれるYoutubeの運営というものは、いったいどうなっているのだろうか?




ーーー5/28−−− 連休の登山

 ゴールデンウイーク前半の4月27日、北アルプス爺ヶ岳に登った。連休に元の会社の友人がやってきて、登山を楽しむという行事を、一昨年から行っている。初回は、霧訪山と燕岳。霧訪山はハイキング程度だが、燕岳は残雪の高山である。幸いにも天気に恵まれて、無事に登山を終えた。それが弾みとなったか、来年は爺ヶ岳に登ろうなどという話が出た。

 昨年の連休は、天気が不安定だった。一日目は四阿屋山でハイキングをした。二日目に爺ヶ岳を南尾根から登る予定だったが、天気が不安だったので、近郊の山、金松寺山から天狗岩の登山に切り替えた。幸い雨にも降られず、楽しく登って帰ってきた。遠くに見た北アルプスは、恐ろしいような雲に覆われていた。この日、白馬岳の稜線で6人が遭難、死亡する事故があった。

 今年はその爺ヶ岳に再挑戦することになった。初日は生坂村の京ヶ倉で足慣らしのハイキング、晩は翌日に備えて早々に就寝した。翌朝4時に起床すると、星が見えていた。万全の天気とは言えなかったが、回復傾向にあるのは間違いない。予定通り決行することにした。

 5時過ぎに登山口の駐車場に着くと、車がたくさん停まっていた。驚いたことに、地面は雪で覆われていた。後で知ったのだが、それは前日に降った新雪だった。駐車場に入り、空いたスペースを狙って車を進めたら、タイヤを側溝に落とした。雪に覆われていて、気付かなかったのだ。車を押して溝から脱出できたときは、ホッとした。

 登山口へは、車道を少し戻る。橋の上は、路面が凍結していた。ノーマルタイヤで駐車場まで辿り着けたのが、不思議なくらいのコンディションだった。

 積雪期に扇沢から爺ヶ岳へ登るには、柏原新道の後半が通行禁止になっていて、途中から尾根に上がる、南尾根コースとなる。今回我々が辿ったのも、そのルートだった。

 まるで冬山のような、柔らかい雪を踏んで登った。先行パーティーのトレースがあるので、歩き辛くはない。樹林帯の中を3時間ほど登ると、ジャンクションピークに着いた。この先は樹木が無く、広大な雪の斜面の先に爺ヶ岳の山頂が見えた。ここからが、ちょっと修羅場だった。風がもの凄く強かったのである。

 体がよろめいて、真っ直ぐに歩けないほどの強風だった。しかも吹かれて冷たい。同行の三人は、それぞれ手袋の中の指が冷たい、足先が冷たい、顔が痛いなどのトラブルを抱えていたと、後になって聞いた。途中で引き返したいと思った人もいたようだ。私は、問題は強風だけで、視界は良いし、転倒しても滑落するような雪面ではなかったので、登り続けて良いと判断した。山頂が迫り、斜面の傾斜が少し増した所で、アイゼンを着けた。アイゼンのおかげで足元が安定し、強風の中でも歩きやすくなった。

 10時半に山頂に着いた。雪を被った山頂は、夏よりも尖って狭く感じた。展望は素晴らしかった。目の前の鹿島槍ヶ岳が立派だった。西には立山と剣岳が彫刻のようにそびえていた。南に目を転ずれば、遠く槍ヶ岳、穂高岳まで見えた。真っ白な世界を見下ろす頂の上は、まさに神の領域といった感じであった。しかし強風に打ちのめされた人間には、ゆっくりと過ごす余裕は無かった。写真撮影もそこそこに、腰を下ろすことも無く、下山にかかった。

 しばらく降りると、風が弱まった。天気が良くなりつつあるのは、明らかだった。しかし、頂上稜線には雪煙が上がっていたから、上はやはり風が強かったのだろう。もう半日天気の推移が早ければ、風のない快適な登山が楽しめたと思う。しかし、厳しいコンディションでも、登頂できたのは幸せだった。

 登山口に帰着すると、朝の雪はすっかり消えて、駐車場は地面が出ていた。山の上の寒さが嘘だったように、ポカポカと暖かく、新緑の木々が陽の光に映えてまぶしかった。

 この時期は、天気によって山の状況は大きく変わる。厳しさを覚悟して登る冬山と違い、気軽に楽しむ登山のすぐ裏に危険が潜んでいる。同行のメンバーもそれを口にした。一昨年の燕岳は、汗ばむような陽気だったのに、今回の強風と寒さには驚いたと。燕岳のときと同じような状況を想定して、薄めの手袋を使ったために、凍傷にかかりそうになったという者もいた。

 この前日は、白馬岳の大雪渓で雪崩が起き、登山者が巻き込まれて亡くなった。この時期には珍しいくらいの雪が降り、一時は猛吹雪だったそうである。パトロールが登山口で危険を指摘し、大雪渓に入ることを止めるよう呼びかけていたとのこと。それを聞き入れて、登山を止めて引き返したパーティーもいくつかあったと、報道されていた。

 我々が登った爺ヶ岳南尾根。5日の午後に登山者が滑落死したとのニュースがあった。あのコースのいったい何処で?という気がした。そのような危険を感じる場所は無かったと思う。それでも事故は起きる。いや、「まさか」と思うようなシチュエーションで、事故は起きるものなのかも知れない。










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